
プロフィール
長谷川浩司さん
ミサワホーム株式会社 ストック推進部 MRD・不動産課にて、不動産仲介業務を担当。
セカンドライフコラム 第5回
ミサワホームで不動産仲介業務を担当する長谷川浩司さんは、「親の介護が私の人生を変えた」といいます。現在、実家で母を在宅介護する長谷川さんに、親の終活と介護の失敗について赤裸々にお話しいただきました。
プロフィール
ミサワホーム株式会社 ストック推進部 MRD・不動産課にて、不動産仲介業務を担当。
私は1964年生まれで、現在57歳です。2018年に90歳の父が亡くなりましたが、そこで親の終活と介護に直面することになりました。
それまでの私は、親の介護や終活はまだまだ先のことだと思っていました。それに「いざという時のことは夫婦で話し合っているだろう」「当面のお金くらいは用意しているだろう」と考えていたのです。すべてが単なる私の思い込みだったとわかったのは、父が入院し、余命いくばくもないとわかってからのことです。
ただ、思い返すとそれよりずっと前に、のちの終活への関わりを左右する出来事がありました。
久しぶりに実家に帰ると、父の車のあちこちに、ぶつけたようなキズが増えているのに気付き、運転免許証を返納するよう勧めたのです。
「そろそろトシなんだから、免許を返納しろよ。人さまに迷惑をかけるようなことになると困るぞ」――。
昭和ヒトケタ生まれの頑固で寡黙な人です。父は反発しました。言葉も選ばず話してしまったので、父のプライドを傷つけることになったのです。そしてこの時の衝突が、その後に大きく影響することになります。自分の体調やお金の状況などを、話しにくい雰囲気にしてしまったと思います。
もしここで、「僕らもお父さんのことを心配しているんだよ。車がなくなっても僕らがサポートするよ」といったコミュニケーションができていれば、その後ももう少し終活について話し合えたのではないかと思います。
当時は親の健康状態も、全然把握していませんでした。父が会うたびに痩せていくのでようやく「おかしい」と感じるようになったのですが、この頃、実は前立腺がんで治療を受けていたのです。しかしそれも、亡くなる数カ月前に知りました。
玄関で転んで頭を打って入院してからは、あっという間でした。家のこと、お墓のこと、保険のこと、葬儀のこと……。本当は確認しなくてはいけないことがたくさんあったのですが、余命数カ月と宣告された病人には、とても聞けません。結局ほとんど話ができないまま亡くなりました。
そんな状況だったので、資産について知ったのは父が亡くなった後です。死亡保険にも医療保険にも入っていなかったのには驚きました。
せめて残された母が困らないような備えはしておいてほしかった。
もし時間を巻き戻せるのなら、父が退職したばかりの頃にかえって、「これからの人生の方が長いんだよ」「年を取ると、こういうところにお金が必要になるんだよ」と教えてあげたいです。
実家は、1974年に建てた2階建てで、セカンドライフに向けたリフォームはまったくしていませんでした。母は緑内障で目が悪く、膝も悪いため、2階に上がることができず、すべてが1階での生活となりました。筋力も落ち、自分で入浴することができなくなったので、デイサービスで入浴しています。
「いざとなったら施設に入ればいいだろう」と思っていましたが、それも間違いであったことがわかりました。母は要介護度が1なのですが、特別養護老人ホームといった施設は、要介護度が3以上でないと入りにくいのです。介護に関わる制度もまったくわかっていませんでした。
母自身も住み慣れた家から離れるのはいやがりますし、いまさら住み替えはできません。
私は仕事で不動産を扱っているのでわかりますが、田舎の古い住宅を売ったとしても、大したお金にはなりません。本当は、もっと元気なうち、両親の資金で何とかなるうちに、マンションに住み替えたり、平屋にダウンサイズするなどのリフォームをしたりすればよかったと思います。
親のことを、わかっているようでわかっていなかったことが悔やまれます。特に父は、どんな最期を迎えたかったのか、どうしてほしかったのか、わからないままで亡くなってしまいました。「本当はどうしてほしかったんだろう」と今でも考えます。
介護や終活の話は非常にデリケートですが、元気なうちなら深刻にならずに話ができます。「死んだらどうする?」ではなく、「人生100年時代。これからどうしたい?」と、前向きに話ができるからです。
それに、切羽詰まり、必要に迫られて対応していると、どんな選択肢があるか調べたり考えたりする余裕もありません。早めに備えていれば、選択肢の幅も広がりますし、親の希望を尊重して動くこともできます。父を看取ったときに、それを痛感しました。
私も定年まであと2年余りになりました。健康に気を付けているつもりですが、何が起きてもおかしくない年齢になりました。女房とはいざという時どうするか、備えはできているか、近い将来の住む場所をどうするかなど話し合っています。
人生100年とすると、思っている以上に先は長い。親の終活・介護で学んだことは、自分のセカンドライフに活かしたいと思います。