バウハウスで有名な画家パウル・クレーは日本に多くのファンを持っています。昨年の京都国立近代美術館、東京国立近代美術館の巡回展でも大成功を収めました。今回、スイスのベルンにあるパウル・クレー・センターの全面的な協力を得て、幼少時代の絵、高校時代のノート、素描、日記など豊富なコレクションの中から貴重な筆跡を入手することができました。これまで日本で未公開の作品も登場するなど、実に充実した内容で構成・編集をしています。クレーは、家族をとても大切にした人で、また大変な記録魔でした。一人息子のフェリックスが幼少のとき、その成長記録を克明に書き記していました。体温表や身長、体重などの数字が多数残っているため、従来のカレンダーでは0から9までの数字を組み合わせて日付を構成していましたが、ほとんど組み合わせることなく、そのまま使用することができました。さらに9月には、友人でバウハウス美術工芸学校でも同僚だったカンディンスキーの、クレーに宛てた手紙も掲載。紙面に二人の交流が表れました。また、日曜・祝日の色は、クレーのスケッチに使われた赤色から3色のバリエーションを再現。まさに色彩画家クレーにふさわしいカレンダーに仕上がっています。
1月 | 手も使って 1940年(221) | 裏と表の線がぴったり重なるように構成された三次元的な晩年の素描。 |
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2月 | 「ハルピア・ハルピアーナ」テノールとソプラノビムボー(ユニゾン)のため、変ト長調で 1938年(447) | 愛猫ビムボーがソプラノを歌う。交尾期の猫の鳴き声を暗示するペン素描。 |
3月 | 第3の日記 p.100-101 フェリックス・クレーの成長記録p.102-103 フェリックス・クレーの体温表 | 一人息子フェリックスが重い病気にかかったときの記録。 |
4月 | 友情 1938年(54) | ニューヨークでクレー絵画の評価が高まった頃の、画家の開発したのり絵具で描かれた作品。 |
5月 | 妻に宛てたパウル・クレー最後の手紙 1940年5月11日 | オルセリーナ・ロカルノの療養所から出した手紙。病状回復の見込みがないのに希望の言葉を述べている。 |
6月 | スケッチブックⅠ ベルンの時計塔 1892年 | 高等学校(ギムナジウム)時代、ノートに描かれたベルン市の古い時計塔。 |
7月 | 桟橋の近くの2艘のボート 1926年(197) | 日本で未公開作品。バウハウス期の貴重な素描。 |
8月 | では、お元気で! 1927年(256) | すでに完成した作品を切断し、創造的に再構成した作品。 |
9月 | カンディンスキーからの手紙 1914年9月10日 | 第一次世界大戦が勃発し、スイスに逃れたカンディンスキーからクレーに宛てた手紙。 |
10月 | 動物飼育係の女性 1928年(174) | バウハウス期の、裏面の透けた線も生かした『両面作品』の一つ。 |
11月 | 詩の始まり 1938年(189) | 数字の付けられた言葉を並べると『このように秘かに始まった』となる文字絵。 |
12月 | 翼のないクリスマスの天使 1883年(1) | クレーは番号を付けて作品を整理し、目録を作ったが、3歳のときのこの絵をNo.1とした。 |