小説家オクターヴ・ミルボーはこうルノワールを評しました。2018年は、クロード・モネと共に印象派の代表的な画家ピエール=オーギュスト・ルノワールの筆跡をコレクションしました。1841年ルノワールは陶器の街リモージュに生まれます。幼くしてパリに移り住んだので自分はパリっ子だと思っていました。13歳の時、磁器絵付の工房で徒弟奉公をし、20歳の時グレールの画塾に学び、モネ、シスレー、バジールと出会い親交を深めます。官展サロンに何度か入選しますが、モネらと印象派展に参加。しかし1880年代に印象派絵画の限界に達し、その袋小路から抜け出すためイタリアを旅しました。ラファエロやポンペイの壁画に学び、デッサンからやり直します。伝統と現代、様式と自由、線と色を調和させ、人物画を中心とするルノワール絵画を完成させていきます。はにかみ屋で人が良く、肖像画を依頼する素晴らしい顧客たちに愛され、彼らに支えられました。晩年はリュウマチで指が変形し絵筆が持てなくなりますが、筆を手に縛りつけて描き「絵は手ではなく目で描くものと笑っていた」と映画監督になった息子ジャンが証言しています。面白いことに、ピカソはマティスに次ぐルノワール絵画のコレクターで生涯手放さなかったそうです。どんな影響を受けたのでしょうか?
表紙 | 1908年6月24日付けフリッツ・トゥルネセン博士宛 | 額の提案をするスケッチ入り手紙と友人宛手紙の追伸の言葉 |
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1月 | ブージヴァルのダンス | 1883年この絵のモデルも務めたポール・ロートの 小説の挿絵とルノワールの直筆による小説の一節 |
2月 | 長男ピエールか次男ジャンか | 幼児の横顔と正面の顔の習作 |
3月 | ロダンの肖像とロダン宛手紙 | 1914年ロダンがルノワールをカーニュに訪ねたとき描かれたもの |
4月 | 少女の肖像 | 親しかった女性画家ベルト・モリゾの娘ジュリーを描いたものと思われる |
5月 | 母子と風景 | 1885年男児が生まれると住まいや庭を舞台に 「母性」シリーズが創り出される |
6月 | 右向き浴女と左向き浴女 | 1880年代印象派絵画に行詰まり、 裸婦を中心とする独自の人物表現を始める |
7月 | ルノワールの絵具と筆 | 1880年頃友人の息子にアドヴァイスするために書かれた |
8月 | 収穫 | 1886年頃のち妻となるアリーヌ・シャリゴがモデル |
9月 | 梅原龍三郎宛手紙 | 1911年秋頃シャヴィルまでの行き方を教えている |
10月 | 雑誌社主ジョルジュ・シャルパンティエ宛手紙 | 週末に必要なお金を届けてくれた郵便配達員に キスをしている |
11月 | 5人の人物に囲まれて座る女性 | 1868年頃ヴァランティーヌ・ド・ボッフルモン大公邸での 一場面 未完に終わった集団肖像画の習作 |
12月 | ピアノを弾く少女たち | ルノワール絵画の代表的なモチーフの一つ。 右の言葉は「千の愛情をあなたに」という手紙の一節 |