2026
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

2026
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック

されど、人生は美しい。

2026年は、エンターテインメントの聖地パリ・モンマルトルのさまざまな人生を描いた画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの筆跡を集めました。1864年11月24日名門貴族の長男としてフランス南西部の古都アルビに生まれました。7歳のころパリ9区のリセ・フォンテーヌ(現リセ・コンドルセ)に入学。そのため一家でパリに転居。ここで生涯の友となるモーリス・ジョワイヤンに出会います。
しかし病弱のため、授業についていけず退学し、故郷に帰りました。13歳のとき、転倒し、左大腿骨骨折。翌年ピレネー山中で溝に落ち、右大腿骨を骨折。これらの事故により両脚の成長が止まっ てしまいました。17歳のとき、大学入学資格一次試験に合格しますが、進学を諦め、絵に専念するため、再びパリに出ます。父の友人の動物画家ルネ・プランストーの画塾に通い、レオン・ボナに 学び、モンマルトルにアトリエを持つフェルナン・コルモンの画塾に通いました。 コルモンのアトリエは次世代を担う多くの画家たちが集結。伝統的な技法を研究することができ、一方、アカデミックな教育に飽き足らず新たな芸術の道を拓く気概も生まれました。
1887年、コルモン画塾を去り、プロの画家として第一歩を踏み出しました。1889年ムーラン・ルージュ開店。1891年ムーラン・ルージュの支配人シャルル・ジドレールから初めてポスター制作を依頼されます。これが画家として大きな転機となりました。《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》のポスターは、パリの街をギャラリーと化し、一夜にしてロートレックを有名にしました。どんなに苦しいときも笑いとユーモアに溢れ、自分も楽しみ、人をも楽しませた、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックらしい、美しい人生でした。

表紙 ロートレック自画像
1月 アンバサドゥールのアリスティド・ブリュアン』のポスターのスケッチ
2月 アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
3月 『カフェ・コンセール』 ジャヌ・アヴリル
4月 展覧会の招待状
5月 フェルナンド・サーカスにて、女曲馬師
6月 イヴェット・ギルベール
7月 プランストーとロートレック (画家の叔父への手書きの手紙)
8月 水没
9月 ムーラン・ルージュの舞踏会
10月 ファン・ゴッホの肖像
11月 ジュール・ルナール『博物誌』表紙裏
12月 『ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ』のポスターのスケッチ