2022年は、芸術を分解・分析し、理論的・科学的に吟味し、いち早く抽象絵画を提唱したワシリー・カンデインスキーの筆跡を集めました。
1896年29歳のとき、モスクワで閲かれた「フランス美術展」で、クロード・モネの絵に衝撃を受けます。
何を描いたのかわからず、目録で《積みわら》であることを知ります。
その絵は心を掴み、突然細部までありありと浮かんでくることに驚き、当惑しました。
その年、法学者、経済学者としてのキャリアを捨て、画家を志しミュンヘンに移住します。
遅い船出ですが、すでに目指す絵画が旧来の美術学校で学べるものではないことを自覚していました。
5年後には仲間と共に、グループを結成。展覧会の自主企画・運営に乗り出し、絵画学校を開設します。
新芸術の理論家にして教育者、啓蒙家として旺盛な活動を始めました。
1906年パリのサロン・ドートンヌでグランプリを受賞。
1908年夏、アルプス山麓の小村ムルナウで長期滞在。
ここで描かれた風景画を手始めに、目で見える自然が解体され、実景から解き放たれた色彩が響き始め、抽象美術へ大きく前進します。
1922年バウハウス・ワイマール校から招聘され、マイスターとして、ナチスの圧力で閉校するまで約10年間教鞭をとりました。
『芸術における精神的なもの」「点と線から面へ」なども著し、その絵画と理論は現代の造形芸術に新鮮な影響を与え続けています。
ミサワホームでは、カンディンスキー、パウル・クレーの絵画を始め、多くのバウハウス作品を所蔵しています。
表紙 | 造形学校バウハウス・ワイマール校でカンディンスキーがデザインした色彩と形態についての質問書 |
---|---|
1月 | 《印象Ⅲ(コンサート)》のための習作 |
2月 | 《青い世界》のための習作 |
3月 | 《いくつかの円》最初の習作 |
4月 | モスクワ・ズボフスキー広場のスケッチ |
5月 | 『青騎士』年鑑の表紙絵 |
6月 | カンデインスキーの手帖1889年6月21日・22日 |
7月 | 『点と線から面へ』表紙デッサン |
8月 | 《コンポジションⅧ》のための習作 |
9月 | ムソルグスキー作曲「展覧会の絵」の舞台美術(リモージュの市場の娘)衣装デザイン下絵 |
10月 | 《モスクワⅠ》のための習作 |
11月 | 《小さな世界Ⅳ》リトグラフ ミサワバウハウスコレクション蔵 |
12月 | カップ&ソーサー デッサン |