2027
アイザック・ニュートン

2027
アイザック・ニュートン

プラトンは私の友。アリストテレスも私の友。しかし、私の最大の友は真実である。

「偉人筆跡カレンダー」が40 周年を迎える記念すべき年に、没後300 年の節目を迎える近代科学の父、アイザック・ニュートンを取り上げました。「プラトンは私の友。アリストテレスも私の友。
しかし、私の最大の友は真実である」。これはニュートンがケンブリッジ大学の学生時代、自らのノートに書き残した言葉です。
アリストテレスをはじめとする古代ギリシャ以来の伝統的な学問を学びながらも、それに盲従することなく、客観的な「真実」を何よりも追い求めたニュートンの、生涯にわたる研究姿勢を象徴しています。
1642 年、ニュートンはイングランドのウールスソープに生まれました。幼少期から機械工作に非凡な才能を示し、1661 年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学。しかし1665 年、ペストの大流行によって大学が閉鎖されたため、ウールスソープへ戻ります。この故郷で過ごした期間は、ニュートンの才能が爆発した「驚異の諸年」と呼ばれ、庭のリンゴが落ちるのを見て閃いたとされる「万有引力の法則」を着想し、数学の「微分積分法」、さらに「光学」の基礎を築きました。大学再開後、その才能を高く評価した恩師バローから職を譲られ、26 歳の若さで教授職に就任します。1687 年には歴史的名著『プリンキピア(自然哲学の数学的諸原理)』を出版し、その業績を確固たるものにしました。
晩年は社会的な活動にも深く関わり、1699 年造幣局長官、さらに1703 年には王立協会の会長に就任。1705 年には科学者として初めてナイトの称号を授与されています。1727 年に84 歳で没した後は、ウェストミンスター寺院に手厚く葬られました。ニュートンは数学的証明と実験によって宇宙の法則を解き明かし、その後の科学の発展に計り知れない功績を残したのです。

表紙 知識の木
1月 スペクトルと音階の相関関係
2月 雪の結晶のスケッチ
3月 ソロモン神殿の平面図
4月 決定的実験の図
5月 罪のリスト
6月 ニュートンの音楽手稿
7月 反射望遠鏡のスケッチ
8月 眼球実験の図
9月 55桁計算ノート
10月 錬金術に関する手稿
11月 1680年の大彗星の軌道図
12月 手書きの計算メモ