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南極の人たち

南極ノウハウ『南極の自然現象その1』

第3次越冬隊との再会〜タロとジロ、生存

 第1次越冬隊と第2次南極観測隊が鎖につながれたままのカラフト犬15頭を残して南極を離れた翌年(昭和34年)、早くも編成された第3次観測隊が南極を訪れると、生存は絶望視されていたカラフト犬のうち、2頭の生存が確認されました。その2頭はクマのように大きく成長しており、最初残された犬たちのどの犬であるのかも判別できませんでしたが、第1次で犬係をしていた観測隊員の呼びかけに反応を示し、この2匹が「タロ」と「ジロ」の兄弟犬だということが判りました(その他の犬たちは餓死または行方不明)。極寒の南極に残された犬たちはもう生きてはいないだろうと、15頭のカラフト犬を供養する「樺太犬慰霊像」が建立され、南極観測隊員たちも参列して供養が執り行われたほどでしたので、「タロとジロ生存」の報せは日本中を驚かせ、感動させました。

その影響は、記録映画『タロとジロは生きていた』やタロとジロの功績を称える『タロー・ジローのカラフト犬』という歌が制作されるまでにおよび、また、昭和34年9月には、「二度とこのような事件が起きて欲しくない」という思いから、前年12月に完成したばかりの東京タワーに「南極観測ではたらいたカラフト犬の記念像」が建立されました(この像は現在も同じ場所にありますので、東京タワーを訪れた際は立ち寄ってみてください)。

第4次越冬隊〜ジロの死

 その後、救助されたタロとジロは、第3次観測隊によりペットとして連れてこられていた3匹のカラフト犬と共に昭和基地に残ります。これはタロとジロが南極の清浄な環境に慣れてしまっていること(南極にはその寒さのおかげでウィルスなどが存在していない)などを考慮し、新しい仲間と共に南極で生活させようという判断からでした。第3次越冬隊ではとても可愛がられ、タロとジロは隊員たちの人気者だったそうです。

さらに、昭和35年1月、第4次越冬隊は、犬そり用の犬としてカラフト犬11頭を連れてきました。すでに南極で生活を送っていたタロとジロもその犬たちと一緒に生活を送ることになりましたが、南極に冬が訪れた同年7月9日、ジロは病気により死んでしまいます(死因に関しては下痢による衰弱、心臓衰弱など諸説あります)。昭和30年10月にタロと共に生まれたジロは、このとき、4歳。1歳で第1次観測船「宗谷」に乗り込み、ほとんどの生涯を南極で暮らし、そして日本に戻ることなく南極で死を迎えました。無人の昭和基地に取り残され、兄弟犬のタロと共に過酷な越冬を終えてから2年後の早すぎる死でした。

タロとジロ豆知識
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