interview
モノを増やさない、
モノを出さない生活。
月読寺住職
小池龍之介さん
あふれるモノによって、なんだか気持ちが落ち着かない。
モノの存在が、気になって、ついつい心がザワザワしてしまう。
そんな心のノイズを消すためにも、モノとのつきあい方を考えたい。
「考えない練習」「"ありのまま"の自分に気づく」の著者である小池龍之介さんに、
モノを増やさない、モノを出さない生活、
そして、すっきりとした空間で過ごすことの価値を聞いた。
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- 部屋にモノが多いと落ちつかないのは、どうしてですか?
- 生活感があると、心が落ち着かないものです。ちゃんと、生ききれていない自分に直面させられますから。いろんなモノに依存していて、いろんなモノを散らかしている自分に直面してしまいます。情報がいっぱいになって、思考がパンクしそうになるので、逃げ出したくなって旅行やカフェ、レストランに行ってしまうのです。生活感を目にしたくないから、逃避してリフレッシュしようとするのです。
人間は、聞いたもの、見たものから無意識的に影響を受けます。ですから、食べものが目に入ると、食べたいとか、食べようと思わなくても、食べることに関する情報が無意識レベルに再生されます。炊飯器を見ると、ご飯のことをなんとなく思い出す。食器が散らかっていたり、食べ残しを見ると、なおさらその感情が強くなります。テレビが見えると、無意識につけようか、つけまいかという選択を何度も迫られる。パソコンがあると仕事しようか、しまいか、メールしようか、しまいか。選択を何度も迫られるのです。
常に選択させられることが、集中を阻害します。私が部屋にモノを置かない理由は、執筆や坐禅にあたり自分の意識を散乱させるファクターを減らすためです。モノがあるとこうしようか、ああしようか、あれこれ思い出してしまう。左右に、前後に心を引きずるモノが無い方が、何であれ専念できます。
心の静けさと安定と、集中はイコールです。複数の情報処理をしていると心が乱されます。心の平静が失われていきます。家も同じではないでしょうか。家のなかをすっきりさせておくことで、落ち着けて、安心できて、安らげる場所になります。いつもいる生活の場こそが、心が静かになれる場であることは、大切だと思います。
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- モノを出さないための暮らしのコツは、ありますか?
- 収納しなきゃいけないモノが多いと、隠さなければと思います。隠したら、目に入らない。でも、心は知っています。「あぁ、収納のなかはぎっしりだなぁ」。だから、モノは減らした方が良い。本当に必要ではない、めったにしか使わないモノは捨てるといい。部屋もすっきりとしていて、収納のなかもすっきりとしているのがいいのです。本来、見えないところに気を遣うことに日本の美意識があるのですが、現代人はそれをすっかり忘れてしまっていて、見える場所はきれいなのに、見えない場所はおざなりになってしまっている。そうではなく、見えない場所を美しくするのが、いいと思います。
私は、上手に収納することはズボラなのでできない、とあきらめていて、その代わりにモノを徹底的に無くしてしまいます。先日、アルバイトの方から「ポン酢を買いませんか」と勧められましたが、醤油があるからと断りました。それっぽいのを食べたいときは、スダチを混ぜればいい。先日、両親が残していた冷蔵庫を捨てました。そのなかには、10種類ほどのつゆがありました。醤油だけで、いい。値段は高いかもしれないけれど、古式醸造でしっかりと三年ほど熟成させた醤油。本当においしい醤油。それをベースに他は自分で作ればいい。そうすれば、冷蔵庫のなかもすっきりします。
鍋もそう、良いものをひとつ。あとは使い回せばいい。自分としては、価格にとらわれずに、高かろうと安かろうと関係なく買って、長く使います。感覚にフィットするものがひとつだけありさえすれば、類似するモノはいらなくなります。すごい威力のある、真っ当なモノがひとつあれば、似たモノはいらなくなるでしょう。
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- モノを選ぶときに大切にしていることは、ありますか?
- 私がモノを気に入る基準は、使い心地が最優先で、次にデザイン性です。そういう執着までは捨てられないでいます。シンプルで、すっきりしていて、ちょっとかわいい。いかついというより、コロンとしていたりするモノ。修行する前は、優美なデザインのものを好んでいた気がしますが、今の好みの中心は、削ぎ落としたモノ。目立とうとせず、余計なモノがついてなくて、不必要にキラキラしていない。いろいろ削ぎ落として、使うにあたって、使いやすいモノ。江戸時代から伝統的にちゃんと使われてきたモノも好きです。
たとえば畳や文机、漆器がそうですね。 器は、漆塗りの本当にいい漆器。ご飯、汁、向こう付けに、三種類があればいい。シンプルだけど、手触りが良くて、きれい。漆器は高価で特別なときに使うと考えられていますが、毎日、使っていても丈夫。使い込むと風合いがでる。木ですから、軽くて手触りもいい。使い始めて数ヶ月くらいまでは、炊きたてごはんに、漆の味がうっすら染み出て、それもいい。
「私がこう思う。こういうのが食べたい、こういうのが聞きたい」と心が叫んでいるせいで、その叫びによって他の味が、かき消されたり、見えているものが見えなくなっています。脳は自動的に世界を限定してしまう性質があります。見えていると世界と、実際の世界とは違うのです。脳は、情報を百分の一に切り詰めています。だから、想いが静かになると、今まで知らなかった味や食感、いろんなことが見えてきます。「仏教の修行での食事って味気なくなるのでしょうね。つまらないでしょうね」。と思うのは大いなる誤解です。普通に生きていると、現実を切り詰めています。それに比べると、とても豊穣な味や音の世界が広がっています。
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- モノを減らすためのコツはありますか?
- モノとの関係においては、自分を見つめざるをえません。捨てようかな、これはもったいない、誰々が気に入っていたと抵抗を感じるのが、心のクセ。人間は、無意味にモノをかき集めると自分の心配が減ると思っている。モノが減ると生活がちゃんとできないのではと心配している。「もったいない」という美徳によって、捨てない自分に暗示をかけて騙しているだけです。言い訳しているだけで、単に所有感覚に執着しているのです。
だから、捨てるときに、自分の内面に向き合うことが大事。強引に捨てるのではなく、なんで捨てられないのだろうと洞察してみることが大切です。もったいない?でも、それはごまかしであって、本当はモノが減るのが怖いのでは?と。捨てない原因を考えて、はっ、と気づく。「そういうことなら捨ててもいいのではないか」。自分のことを理解して、執着がふと取れて、楽になる。これは、智慧の伴った捨て方です。捨てることもさることながら、自分を克服する喜びがあります。なにがなんでも、無理矢理捨てるアプローチだと、自分の自然な気持ちを踏みにじってしまうことになりますからね。
智慧の伴った捨て方のコツは自然体の自分より、ほんの少しだけ難しいことをやる。これくらいなら抵抗なくできるかなということに、チャレンジする。最初はレベルの低い簡単に捨てられるものから始めてみる。気持ちも楽だし、気持ちいい。捨てることは、気持ちいいことが肉感的にわかってくる。これはいいことだと、心がわかってくる。次は無理をしなくても、楽にモノが捨てられる。それを繰りかえしていると、無駄なモノが減っていくのです。
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profile
- 小池龍之介さん
- 1978年生まれ。東京大学教養学部卒業。月読寺(神奈川県鎌倉市)住職、正現寺(山口県山口市)住職、ウェブサイト「家出空間」主宰。僧名は龍照。住職としての仕事と自身の修行のかたわら、一般向け坐禅指導も行っている。著書に「考えない練習」(小学館文庫)、「"ありのまま"の自分に気づく」(角川SSC新書)などがある。